音楽の本 3

この間の続きで本棚の本について少し解説を。

3.雑誌 談 『おとはどこにあるのか』
3つの対談が収められています。

柏野牧夫×池谷裕二『理性を導く音の快楽』
これは音や音楽の聴こえ方や聞き方に対しての対談です。
こんな発言があります。
「やはりいまだにアナログレコードがいいという方が根強くいらっしゃる。個人的にもそうだなと思う時があります。何が違うかというと、アナログにはCDでは切り落とされている高い周波数が含まれているからだ、という説がよく言われますが、それだけでなく、大きく違うのはアナログの方が揺らぎが大きいことなんです。」「なるほど、再現性という意味で」「ええひどくゆらいだら使い物になりませんけど、アナログのレコードプレイヤーにはどうしてもワウフラッター(回転数のゆらぎ)がある。針音なんかも不規則に入る。それが、脳内の状態に影響を与えているのかもしれない。」

 

盤の微妙な歪みの話かと思ったらプレイヤーの回転数の話でした。
この対談によると音楽を聴いたりして快楽を感じるのには微妙な揺らぎと変化が必要で、それを感じるのは脳の腹側被蓋野という部分らしいです。当店で調整している脳脊椎液もその近くを流れています。

 

粉川哲夫×廣瀬純『無数の眼・耳・舌あるいは闘争の劇場としての…』
音楽に関しての対話が一向に始まらないバトルのような対談です。お二人とも優れた映画批評をするのですが、そのスタンスの違いがここでは如実に現れています。しかしこういう対談も面白いですね。最近では篠原雅武氏と斎藤幸平氏の環境を巡る対談もいくぶんそうだったように思います。
粉川「理屈ばかり言いやがって、それで複雑な世界を語れると思ってるのか」
廣瀬「概念の発明が大事だとドゥルーズも言ってるではないですか、それに状況と添い寝する危険もあります」
という発言はありません。

 

関連対談は以下です。

廣瀬純×菊地成孔
『君の名は。』と『シン・ゴジラ』は
『うんこ漢字ドリル』と同時代の作品である(前編)

廣瀬純×菊地成孔
『君の名は。』と『シン・ゴジラ』は
『うんこ漢字ドリル』と同時代の作品である(後編)

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現代思想2020年1月号 特集=現代思想の総展望2020

「ポスト資本主義と人新世 篠原雅武+斎藤幸平」

 

小沼純一×渋谷慶一郎
音楽評論家と音楽家の対談です。音楽に造詣が深い小沼氏が音楽をよく聴いているかと思ったら、そんなでもないと言っています。いま僕も店で音楽を聴いてなく外の蝉の鳴き声と車などが走る音、たまに聞こえる人の話声などを聞いています。十字路なので店の前に歩道の切れ目があってその段差を自転車がガタンと乗り上げたり降りたりする音もたまに聞こえます。外は暑そうですが、店内ではエアコンと扇風機と空気清浄機の音がしていて涼しいです。これは上の対談で言われてる微妙な揺らぎのあるフィールドレコーディングのような音でしょうか。フィールドレコーディングという文脈が音の聞き方に作用しているところもありそうです。

以下のような激しい切り替えも音楽を聴くということなら面白い行為になりますね。その場合腹側被蓋野だけではない部分も多く刺激されてそうです。日常だと騒音になったり混乱しそうですが。しかしそれも聴いてるうちに予測出来る変化と快楽になるでしょうか。上記の粉川氏や直江実樹氏は電波や伝達を使って音楽に偶然性を持ち込もうとしてるようです。