ゴダール

本棚の本を替えました。
こう揃えると鬱陶しいと思う方も居るかも知れませんが、自費で買ったもので自費で追悼です。
僕の世代はてらいなくゴダールの映画普通に面白いと思って観てた映画好きが多かったように思います。
ゴダールの死因は自殺だったようです。

僕があまり理解出来なかった『決別』を公開時にゴダールを初めて観る先輩と梅田に観に行ったら、しっかり映画を理解していて解説してくれ感心しました汗。ロバート・クレーマーと粉川哲夫が批評を書いています。
鈴木志郎康も数日前に亡くなっていたようでこちらも偉大な映画作家でした。どちらの死も休暇先で知りました。

 

 

 

GODARDからカミが無くなると、
 ARD ( Atmospheric Reentry Demonstrator )大気圏再突入実験機
 となるようでよく分からないですが何かそれっぽいですし、
「 -ARD」には「大いに〜するもの」という意味があるようなので、神のように創造を繰り返してたとも取れますかね。

色んなものをバラバラに解体して作り変えるという作業をした人だと思います。
例えば『映画史』はドゥボールの引用の映画を作り変えてますし、『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』も破滅型のハリウッド映画を再構築しているとも取れます。それと即興も含まれると思われる優れた演出と身体性が同居してるのがゴダール映画の面白いところなのでしょうね。『映画史』などの引用でもスローやストップモーション、モンタージュ、音声で既存の映像の再演出をしています。
もう一本いまの硬直かつ混沌としてる世界を作り変えて欲しかったですね。
ゴダール風のアナグラムやダジャレを使うならNATO+ロシア+ルーレット、ウクライナの未来は明るい?、MADE IN ?.?.?.

とかでしょうか。
financial capital→fin anc al capitalとかneoliberalism→neo liberal ism に分割されます。

international⇄national⇄
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internet  ai    i=Phone⇄

鈴木志郎康の映画はNHKの映像を作り変えたと言えるかもです。所属されてたNHKが踏み込みそうで踏み込まなかった日常の時間の表現に踏み込んだ映画作家です。 映像の詩の領域とも言えるでしょうか。最良のETV特集にその影響が見い出せるかも知れません。ゴダールとNHKの共同制作は頓挫したようです。ギャラの問題だったのか、NHKの映像文法があらわになるのを、局が怖れてのことだったのか。例えば映像資料的には豊富な『映像の世紀』は全て同じテーマ曲で同じトーンの悲劇が起きているように演出されています。同様に各民放やBS、NetflixやYouTubeなどの映像文法やイデオロギーや成り立ちを考えてみることも出来るでしょうか。

お二人に楽しませ考えさせてくれありがとうと言いたいですね。
鈴木志郎康風のメガネは前から持ってたのですが、ちょうどひと月前にゴダール風のサングラスを作ったところでした。