山田勇男DVD『日々随想』

山田勇男さんの日記映画は近年多くDVD化されてるのだが、前回に続きそのもう一本の新たな作品の選定と解説を書かせていただいた。

DVDのタイトルは『日々随想』というもので、そのタイトルからもお分かりのように山田さんの個人映画の中でも日記映画の要素の強いものを選んだ。
収められた作品は8本、

『HINA』1987/8mm/3分
『美の記憶』1988/8mm/10分
『水晶リハーサル』1988/8mm/10分
『FLAMME-焔』1989/8mm/9分
『INCIDENT'S-偶景』1989/8mm/9分
『僕はずっと続けて夢を見ている』1998/8mm/20分
『プリズム』1999/8mm/20分
『ヒカリトカゲ』2002/8mm/50分

というラインナップ。

解説に書かせて頂いた文章にベルクソンを少し引用したのだが、『物質と記憶』の持っている射程の広さはやはり論じ切れなく、DVD解説の僕のベルクソンに関する記述はちょっと足らないところもあったのではないかとも思う。イメージとイメージが生まれる微細な仕組みを『物質と記憶』全体では描こうとしているのに対し、僕はそれも一つのイメージだと取られかねないことを書いてしまっている。最近読み終えたドゥルーズが書いたベルクソン本にも、やはりその細かいところが書かれていた汗。

それはともかく、僕も改めてDVDでこれらの作品を観たので、別の観点でこの作品集について書いてみようと思う。ベルクソンの著作同様、山田さんの作品も色んな観点から論じることの出来る強さを持っている。

今回DVDが出来上がって一連のこれらの作品を観直すと、日記映画と一言では括れない、『HINA』の昔馴染みの風景の郷愁を伴った現前の鮮やかさ、美意識から夢のように構成された映像『美の記憶』、『水晶リハーサル』で映画制作の断片での空間の拡張、『FLAMME-焔』では日常のスケッチの中にモノローグ、ダイヤローグが入ることにより作品の意識と世界の広がり、『INCIDENT'S-偶景』の影が世界を縦横無尽に動き回る、と様々な展開がある。9年後の『僕はずっと続けて夢を見ている』は少しメランコリックな空気が現れて来る、この作品集で現れる旅の光景もメランコリックなところがある。それは時代ー80年代の明るさから90年代の憂いへの移行もいくらか反映してもいるのだろうか。そして『プリズム』で作品自体がメランコリーから鬱状態に入るというところがあると思う。

フロイトはメランコリーを悲哀とナルシシズムという側面から論じているのだが、悲哀が現実に起こった喪失に基づくのに対し、メランコリーは何が失われたのか明らかではないという状態だと困惑気味に語っている。喪失の予感がメランコリーをもたらすという矛盾した状態を指しているのだが、山田さんはそれを制作の糧にもしているようにも思える。この辺りはメランコリーと創作のエロスの関係が窺われる。

山田さんの喪失の予感が主に何から来るのか推測するしかないが、今から考えると映画に登場する世田谷の小さなアパート暮らしも捨てることになる予感も幾分関わっているのかも知れない。またインタビューや作品でも度々言及される、少年時代に授業で宇宙の話を聞いているときに自分がいる場所が宇宙の中の寄るべない場所だと意識し、机にしがみつき震えていたという体験もある。山田さんにとって原体験からその喪失の予感、存在の不安は強くあったのかも知れない。それらのことも宇宙に放り出されたような感覚を呼び起こす山田さんの映像に現れている。

鬱状態が強く現れるのが『プリズム』なのだが、『FLAMME-焔』の現実と夢での逢瀬の映像とダイヤローグもどこかメランコリックだし、『INCIDENT'S-偶景』の明るい世界を動き回る影は夢と現実の間を思わせる、『僕はずっと続けて夢を見ている』の日常の光景の遠さ、離人感の表現にも鬱状態に入る前のメランコリーの気配が強く現れている。モノローグ、ダイヤローグによる作品の空間の拡張は、のちの緑川珠見の作品において全面的に発展させられているのだが、山田さんの興味深いところは、メランコリーから鬱状態に入り、その状態でさえ作品にしてしまうところだ。そこには鬱状態を描いているというよりは、鬱状態の人が見た世界のような作品の成り立ちがある。

だが話はそこで終わらない。『ヒカリトカゲ』で日常の机の上の細部の移りかわりと、窓から見える光景の積み重ねにより、山田さんは鬱状態から復帰する。そこにはメランコリーの気配は弱まり、山田さんの創作による反復と継続の光景の中に明瞭な事物と世界が立ち上がっている。

そのようにこの作品集はメランコリーから鬱になる過程と、鬱からの治癒の過程としても観られると思う。この作品を観ることによって鬱状態の人はそこから抜けだすヒントを得られるかも知れない。鬱抜けに限らず、メディアへの過剰な囚われにより失われがちなメランコリーやエロスの思索や活動への応用や揺り戻し、作業や日常生活の積み重ね、その中でのある覚醒の過程が現れ興味深く観られるのではないだろうか。

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